三年勤め学ばんよりは…

三年勤め学ばんよりは三年師を選ぶべし
中国の諺

“三年間自分で学ぶよりも、尊敬に値する師を三年間かけて探し教えを請う方が賢い”という意味。

自分はどうだろう。
幼い頃は住んでいる場所から近い学び舎に入った。大きくなっていくにつれ、そこそこブランドイメージのある(実際優秀なOBOGが多いかも知れないし売名が上手いのかもしれない)学び舎に入り学ぶようになった。

そこで”誰に“教わるかを考えたことはなかったし、実際にそんな内容ならこの人じゃなくてもいいな程度のことしか教わらなかった。

なんだろうこの違和感。

大学って何だ。教授が集まっていて、そしてそこに集まった叡智を学ぶ場所のはずだ。冒頭にあった「師」を探す場所であるだ。

だ が 現 実 は

選択コースによって教えを受けられる人は限られ、なんとなく聞いたガイダンスでろくに話もしたことのない講師をなんとなく選ぶ。例え相性が悪くとも変更はきかず、その講師のいうままの研究をし、社会に送り出される。

今、自分の人生を激しく後悔している。今、自分の人生を振り返って、「先生」と呼んできた人の中で、今でも名前を覚えていて、自分の人生に影響を与えた人は何人いただろうかと。

学ぶとはまねぶ、真似るという言葉からきている。その言葉の通りにこの人の真似をしよう、この人のようになろうと思えた人は何人いただろうか。

はっきり言おう、一人だけだ。小さな頃に道徳やその他様々なことを教えてくれた彼しか私は「師」と呼べない。

今、自分の選択ミスを激しく後悔している。今の環境では「師」が選び直せない。

今私がやっていることはおそらく役に立たない。今私がやっていることは二十世紀中に滅ぶべきだった「お勉強」でしかない。

そういえば東京大学の特別栄誉教授でもある安藤忠雄氏がうちの大学の講演でこうぼやいていた。

「今の東大生は奴隷のようだ」

言われたことを言われた通りにこなす学生たちへの最大の皮肉だ。もちろん私にもあてはまる。

カリキュラムにのっとり、言われたことを言われるままこなす私は奴隷以外の何者でもない。

このままではいけないと感じている。しかしここからどう脱却すればいいのかわからない。

奴隷から抜け出したい。「師」を探したい。しかし残念なことにこの国は三年も猶予をくれない。

「師なんてこちらで選んであるからその中から三日で決めて、その人の言う通りに勉強しろ」と言われているのだから。

最近いろいろと考えてしまい、とても気分が悪い。ミンチ肉製造工場に運ばれていく肉のような気分だ。